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長谷章宏情報局運営長谷プロジェクト京都会議グランドオープン準備室として長谷プロジェクト京都会議公式情報発信コントロールセンターを開設しました。2022.6.3以降のすべての長谷章宏情報発信はこのサイトからとなります。「長谷プロジェクト京都会議」からご参照ください。
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各 位
平成29年6月13日。 裁判長 長谷章宏 からの ”「判決」” 宣告。 あれから、三ヶ月。 日本にも世界にも、現界にも幽界にも神界にも? 怒濤のごとく、前代未聞の出来事の連続の日々。 そして、 今この瞬間も、”問題”は積み上がり続けている。 現代社会(あなた)の問題(課題、矛盾)は解消しましたか? 現代社会(あなた)は、本当は、どこへ向かっているのでしょう? 微塵の嘘も、誤摩化しも、一点の曇りもない、本当の真実、解決策。。。 玉石混交の情報洪水の中で、唯一無二の本当の危機管理法を、再度。。。 ******************** 平成29年9月24日宣告 判 決 以下、同文。 ********************** どうするか(結果、どんな現実を体験するか)は、各位次第ですが。 しかるべく。。。 では。 平成29年9月24日 長谷章宏 |
各 位
以下に、裁判システムにおける判決という形を借りて、長谷章宏自身の総決算も兼ねた「長谷章宏」からの長谷本最終メッセージを提示します。56年間に渡り長谷章宏が全身全霊を賭けて実体験を通して検証に検証を重ねつくして確認した結果として皆さんに提示してきたメッセージ並びに長谷結理裁判の真意、本当の真実の語るそのただ一つの真意を汲み取り、今一度、ご自身の人生について本当に真剣に熟考し直して、ご自身のために、ひいては、日本の、世界の、本当の日本復活、再生のために最大限に有効に活用してください。 **************************************************************** 平成29年6月13日宣告 判 決 本籍 「 」 住居 「 」 職業 「 」 被告人「 」 年 月 日生 上記被告人に対する神法違反被告事件について、当裁判所は、検察官 長谷章宏 弁護人 「 」各出席の上審理し、次の通り判決する。 主 文 被告人「 」を無期懲役に処する。 刑期は改悛の度合いに応じた自己決定とする。 理 由 罪となるべき事実 証拠の標目 事実認定の補足説明 法令の適用 量刑の理由は、下記に総合記述されている。 (1)長谷章宏が提示してきた全情報、レポート (2)TLC長谷章宏OFFICE WEB「緊急声明(リンク記事含む)」 (求刑 各被告人につき死刑) 以上を総合考慮した結果、被告人に対しては主文の刑に処するのが相当と判断した。なお、当被告事件については、控訴、上告、異議申立には理由がないので棄却とし、当判決をもって確定とする。 最終真理神法裁判所 裁判長裁判官 長谷結理 裁判官 長谷章宏裁判官 長谷真由美 **************************************************************** 上記判決の宣告の意味についての説諭 本判決の重大性、緊急性についての理解を促すために、「実践・日本真道」の補遺を兼ねて、現日本国の司法制度(法律違反の清算システム)に置き換えて「神法違反の清算システム」の説明をしておく。 神法違反の判決には「無罪」「無期(自己決定有期)懲役」「死刑」の三種類しかない。しかし、実際には、「無罪」=違反なし、「死刑」=違反のみ、である(神法そのもので創られた世界に違反者は存在できない)から、神法違反の存在が作り出した世界においては、「無期懲役」のみ(言い換えれば、いわゆる「あの世の霊」や「神仏」、「悪魔」も含めて、全員が無期懲役囚)となる。生死時空を超えた、生死一如の清算をするのが神法違反の懲役であるから、逃げる場所は「この世」にも「あの世」にもどこにも存在しない。 現代社会は、「刑務官」(自己決定による自己清算の「刑務所」の刑務官は自分自身なのだが)の強制指導がないのをこれ幸いと、罪の清算の場であるべき「刑務所」において、罪の清算をサボって好き放題遊んで自ら罪を積み続けていた(ことに気づいていない、あるいは、気づいていても「苦役」を避けたいがため無視していた)囚人の集団が運営する世界である。言い換えれば、「自らに都合よく勝手に構築したシステム」を維持する目的でアメとムチを使った支配を「法制度」という形に具現化し、そのシステムの中で生き残るために支配合戦をして遊んでいたのが、人類の歴史として認識される社会システムだったということである。あえてわかりやすく言えば、日本国の組織を真似て国家転覆を謀ろうとしているという理由でオウム真理教をテロリスト扱いしたその日本国自体がオウム真理教集団だったことになる。その結末はよくご存知の通りであるが、ここで忘れてはならないのは、「神法違反の清算システム」においては、その世界に全員が同意した上での社会集団である限り、教祖も信者も全員が「平等公平に」違反相応の清算からは逃げられないということである。各自が違反相応の清算をする、自らで自らの刑期(死刑も含む)を決める、本当の意味で「平等公平なシステム」が、神法における司法制度、神法違反の清算システムなのである。 神法違反の捜査においては、誤摩化しや嘘、言い逃れは一切通用しない。なぜならば、水戸黄門や遠山の金さんのごとく、正体を隠した潜入捜査によって裁判官本人が自らの目と耳で動かぬ証拠を集め、その証拠に基づいて判決を下す(印籠や入れ墨を見せることで正体を明かし、裁判官自らが取り調べていたことを知らせて本当の下手人を縛に就かせる)という、裁判官が警察官と検察官を同時に(一体として)担うシステムだからである。一見、独裁政権における裁判と瓜二つのようにみえるが、神法は裁判官自身にも適用されるため、恣意的な判決は裁判官の自殺行為を意味する。要は、神法違反の捜査は神法違反の事実の証拠収集並びに違反の度合いの個別調査に過ぎない。勿論、現代社会の司法制度と同様に弁護人を立てることも可能だが、その主張は「自己の違反に対する弁解、言い逃れ、言い訳」となるため、実際には、減刑を求める弁護は増刑にしかならず、「弁護」をすればするほど、違反が重なっていくというパラドックスが生じることになる。なぜならば、裁判所が存在する世界そのものが、神法違反の存在が構築した神法違反の社会だからである。ゆえに、神法裁判所の「審理」は、実質、裁判官のみで進められることになる。 神法違反の懲役が自己決定による自発的な違反の清算である限りにおいては、本当の意味での違反の清算を始めなければ、減刑(刑期短縮)されることはありえない。また、神法違反の「刑務所」は、自らの違反と相殺の清算の場であるから、受刑生活は刑の清算のみに専念し続けることが刑期を最短にする唯一の方法である。ゆえに、清算をサボればさらに違反を重ねることになり、刑期が増えるだけである。従って、「受刑者」は、いわゆる「模範囚」であることが当たり前となり、優遇措置なる制度は存在しえないから、ここには「仮釈放」という概念はない。神法は「刑務官」も含めた全員に常時適用されるため、賄賂や圧力や忖度による操作は、自らの刑期を加算するだけであり、それをするならば、タイムリミットまでに清算を終えない場合には、自動的に「死刑(ここにおいては、永遠の絶命)」となることに同意していることを意味する。 神法違反の世界においては、娑婆そのものが法廷であり、拘置所であり、刑務所でもある。ただ、実際には、神法違反の「裁判」の判決は「無期懲役」に確定しているから、本来は、未決囚という概念はなく、「拘置所」は存在しない。本判決の宣告前は、自己審判による自己清算の仕組みを理解して自発的に清算を開始した瞬間に、その受刑者にとっては娑婆が刑務所として機能するのだが、本判決の宣告後は、すべての場が強制的に刑務所に転換することになるため、警察や検察、裁判所の法廷、拘置所の機能は消滅する。以降は受刑者各自が違反の清算を進めるに従って、自身の清算状況に応じて「刑務所」(の現実)が自動的に本当の『娑婆』(の現実)に切り替わっていく。言い換えれば、本気で清算をしないまま時至れば、「刑務所」が即、本当の死刑台に切り替わるということである。 長谷章宏がこれまで提示してきた世界というのは、遊びでも、戯れ言でも、冗談でも、妄想でも、空想上のゲームでもない。このメッセージは、長谷章宏(の世界)をどう扱うかによってご自身の今後の命運を左右することになるという事実、すなわち、あなたの選択次第でリアルワールドが天国にも地獄にも(究極的には「永遠の死=消滅」も)現実化する世界であるという真実について語ったものなのである。現代社会では、生き残りを謀ることは「死刑」の現実化を望んでいることになるという自己矛盾のまま「生存」を維持できるが、神法そのものの世界に転換すれば即、消滅が実体化する。言い換えれば、神法違反の世界では、存在していないものが存在するというそれこそ「空想の世界」が展開されているのであるが、神法そのものの世界ではこの自己矛盾は解消される。要は、長谷章宏の世界には、長谷章宏の語る事実を批判、否定、無視するものは存在しないので、このメッセージ(「長谷本」)も存在しないのである。神法違反の世界こそ幻想のあり得ない世界であり、それは、神法違反のものたちに清算の機会を与えるための期間限定の「刑務所」に過ぎない。その意味するところは、早々に神法違反の清算を始めなければ、最も怖れていた現実を自ら実体化する結末(=永遠の死)を体験することになるということであり、神法違反の世界は本来は存在しえない世界、文字通り、ありえない世界なのである。 本判決を機会に、23年に渡って長谷章宏が各種媒体やツールを使って提示してきたもの、それに対する自分自身の反応、ご自身の選択の結果として体験してきた現実等を総合判断し、本当に真剣に今までのすべての人生を振り返った上で、あらためてこれ以降のご自身の身の振り方を真剣に考えてみることをお勧めする。 説諭の最後に、各位がどのような結論を出そうとも、良きも悪しきもその結果を各位がそのまま体験する(それが、そのまま「懲役」、時至れば「死刑」となる)ことと、長谷章宏が提示した事実は絶対に動かないということを申し添えておく。 長谷本の総まとめに代えて 長谷章宏の本当の真意、事実というのは、どんなに言葉を尽くしても、どんなに証拠を提示しても証明することはできません。なぜならば、最終的には、あなたご自身がそれをどう扱うかという問題に帰結するからです。(逆に言えば、言葉も証拠もいらないのですが。)長谷章宏としては、寝食どころか、たとえ命そのものが「犠牲」になろうとも、神法違反の事実を証明するために最高最大の証拠を提示しようと、常にいついかなる時でも本当に真剣な態度で望んでいたのですが、結局は、今の今まで長谷章宏の真意は伝わらなかったようです。そして、長谷結理裁判という究極の、これ以上ない神法違反の証拠、立証ツールが提示されていたのですが、「判決の宣告」が行われたということは、それを見ても聞いてもなお、今の今まで、各位の反応は変わらなかったということを意味します。言い換えると、今、書いているこの文章は、逆説的な意味で、長谷章宏(という存在とそのメッセージ)に対しての各位からの(長谷章宏をどう扱っていたかの)回答であり、要は、改心をしないまま今この瞬間まで平然と神法違反を続けてきたという決定的な証拠(自白調書)です。 これまでも、ずっと、真日本復活、再生のプログラムの本番はバックグラウンドで着々と進められてきていたのですが、今ここに至って、やっとようやくそれが「誰の目にも明らかに」「実体験としてリアルに」なってきました。現代社会の問題、課題、矛盾が次々に堰を切ったように実体化してきているということは、もう、誤摩化しも嘘も通用しない待ったなしの時が到来したということです。 司法制度(「裁判」)に例えるなら、あなたは今、この瞬間から娑婆という遊び場が転換した大きな刑務所での受刑生活に入ることになります。これからは、違反を生産し続けるにしても、違反を清算し続けるにしても、ご自身の選択の結果を今まで以上にハッキリとリアルに自覚されるようになることでしょう。そして、それはいつまでも続くものではなく、最後の時至れば、そこは刑期満了者以外存在しない「この世」に変わることになる。その時、あなたがそこに残っているかどうかは、あなたご自身の選択にかかっているのだということを、最後にあらためてお伝えしておきます。 これまで長谷章宏が残してきたものを、あなたご自身のために、どうぞ有効にお使いください。そしてもし、これからも、あなたに長谷章宏のお手伝いが必要ならば、ご自由に、いつでも遠慮なくお声をおかけください。「サポート窓口」は「最後の審判」が実体化するその瞬間まで開けておきますので。 いよいよ、あなたが本当に真剣に正直に自分自身と「無期」合うべき時が来たようです。 ということで、長谷章宏は全力を尽くしきりましたので、これをもって長谷章宏からの「長谷本」最終メッセージ(総まとめ)とさせていただきます。 それでは。 2017 (平成29)年 6月13日 長谷章宏 (「長谷本」完。) 以後、各位、しかるべく。 |
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『長谷章宏歴史資料館』に下記の記事を告知した。
(※2011.3.22 14:14告知) ************************* 遺 書 平成23年3月15日午前3時36分 TLC匠メンバー会掲示板に公開。 ※2011.3.22 11:50 投稿 以下、投稿文。。。 ******************************** 遺 書 各 位 長谷章宏、長谷真由美両名は、公判手続きの全過程において、不本意ながらも素直に裁判所の指示に従い、真摯に真剣に全身全霊で説明、立証を尽くした。にも拘らず、最終審は『憲法違反をいう点も含め、「実質は」単なる法令違反、事実誤認の主張であって、「刑訴法405条の(定める)」上告理由にあたらない。』という、理由の根拠を明示しない「刑事訴訟法という権力に記述された、無条件で上告を棄却できる理由」を根拠にした、裁判官でなくても表現できる事務的な定型句の一行で、長谷章宏、長谷真由美、長谷結理、長谷結理花の存在を抹殺した。法治国家である日本国においての、法律という武器を駆使した一方的な魔女狩り裁判で長谷親子の「処刑」(の第一段階)を実行した。命そのものを扱う裁判での命そのものが語る真実を「門前払い」した。長谷親子にとっては、すべての世界から存在を抹殺されたということであり、日本国の存在する世界は長谷親子の存在を抹殺した世界であることが証明された。 日本国にとっての長谷親子とは、日本国=この世の存在する世界から認識される肉身と、長谷章宏、長谷真由美、長谷結理、長谷結理花という「戸籍」上に登録されたコード名に過ぎない。。。。 実際のところは、日本国が作った法律手続き上での実体のない処刑に過ぎないから、決定書という名の紙そのものは長谷親子にとっては全く意味はない。しかし、長谷親子を抹殺した世界での法律上の戸籍名が「生存」扱いである限りにおいては、法律という強制力を盾に、その「法律手続き」上の処刑のプロセスでの、法的権力を根拠にした強制的身体拘束、取り調べという名の拷問も含めて、その処刑の実行においては、裁判所の決定だからという理由だけで、収監という問答無用の強制執行の形で「被告人」両名の肉身を伴った命そのものを好き放題に弄ぶことが可能になる特権を日本国が手にしたことになる。長谷章宏、長谷真由美は、何を叫ぼうが「日本国の法律に反しない限り、裁量で」好き放題に扱える肉身、日本国公認の「罪人人形」である。。。。 『上告棄却の決定は「死刑」に等しい。』と、上告趣意書で申し渡しておいたにも拘らず、門前払い=事務処理で、それを実行した。紙一枚で命そのもの、真実(の存在)を処刑した。真実のところは、被告人の世界と検察官の世界の二つに一つが実体であるから、本来は同居できないはずの二律背反の世界であり、裁判所から見れば長谷親子(の姿)は実体であるが、長谷親子の世界には「裁判所」(に強制力を与える法律)は存在しない。検察官の世界を選択した最高裁判所の決定は、長谷親子に対する日本国の意思の確定であり、法律上は、裁判所が「処理」できる存在として「生存」し続けることになるが、長谷親子にとっては実質「この世」から抹消されたのと同義である。 処刑した(抹消した)存在の肉身を強制労働させることができるという自己矛盾の世界。。。 二律背反、究極の自己矛盾の世界の狭間で生殺しの極致の状態に置いたまま、法律という「権力」を行使してさらに拷問を加え続ける。。。。あわよくば「肉身」の消滅も期待できる。。。。 本件公判における全プロセスでの長谷親子への扱いのすべてを鑑みるに、第一審で長谷真由美が証言した通り、日本国の法律手続きに基づいて行われたとされている「長谷」裁判は、真実の存在そのものの長谷親子を処刑するための魔女狩り裁判であることが立証された。証拠に基づく審理の場である公開法廷は、処刑プロセスの一場面、「合法的」裁判であることをアピールするパフォーマンスに過ぎず、証拠に基づく判断など全くするつもりはなかったことを自ら宣言したのが「上告審決定」である。 長谷親子は肉身、法律身はどうあれ、すでに処刑された存在となった。「検察官の世界」では、長谷親子は処刑された。「長谷親子は肉身と登録名はあるが存在しない存在である」と認定された。これが、長谷章宏、長谷真由美が首尾一貫、語り続けた真実に対する日本国の意思決定の意味である。 すでに決定は下された。しかし、日本国の側に「法的に」どのような権限があろうとも、長谷親子の世界そのものの存在を消すことはできない。残された「異議申立て」を却下するならば、もう後戻りはできない。 法治国家である日本国には長谷親子の世界は始めから存在しない世界だった。長谷結理は「法律上」存在していない存在だった。法律上存在しない存在を、法律を適用して法律上で処刑できるようにするために、その「法律上存在しなかった存在」を「この世」に実体化する手伝いをした長谷真由美と長谷章宏を、「法的手続き」に従って、『「法律上存在しない存在を殺した」疑い』で逮捕し、逮捕した後に(出生死亡の)法律上の記録を作って結理を法律上の存在にするという、後付けの辻褄合わせをした。そして、法律という強制力を盾に、長谷結理の「遺体=真理そのものである証拠」の隠滅=火葬を急がせ、長谷結理である長谷結理花の出産立ち会いの許可申請を却下することで長谷章宏と長谷結理の再会=長谷結理花との対面を阻止し、結理花として肉身を再生した結理の入籍=法律上の存在にするための登録に同意させ、法律に基づく保護という名目で強制的に両名から引き離すことで、長谷結理=長谷結理花、長谷章宏、長谷真由美という肉身に分かれた同一の存在をバラバラに隔離した。 長谷章宏と長谷真由美は、長谷結理「事件」の「犯人」として逮捕された瞬間、起訴前は「被疑者」として、起訴された後には「被告人」として、日本国の国家権力の手中に囚われの身となった。法律というルール、裁判というゲームの詭弁に気づかないように外部からの情報と接触を制限、遮断され、国家機関の24時間監視の下、命そのものを脅かされ続ける拷問環境で拘留された。証拠隠滅の恐れ、逃亡の恐れという、証拠隠滅を謀っている側に都合のよい「妄想」を理由にして。。。 真理を葬り去る策謀の端緒、「法律解釈上」の(「逮捕」そのものを無効にする致命的な)「違反行為」が最後まで(「被告人」として法律上で覆せない最終決定を下す瞬間まで)露呈しないように、さらには、法的権力を最大限に駆使して「露呈しても封殺できる環境」を設定することによって、結理という「真理そのものの存在の証拠」を法律の世界で葬り去るための証拠隠滅を正当化する策略を一方的な圧力の中で押し進めた。「推定無罪」どころか、有罪(法律上は実刑=実質は死刑)の結論先にありきの、『日本国の存亡を脅かす真理を抹殺するための刑の執行を現実化するため』だけの目的で進められた、「法律という法治国家の武器を最大限に駆使して真理そのものの存在の証拠の隠滅を隠蔽するための魔女狩り裁判」。。。それが、この裁判の正体である。 長谷親子の世界に同調する存在が「裁判の正体」を隠蔽する巧妙なトリックに気づかないように(気づいたとしてもそれを封殺する強制力を行使できる)国家機関総掛かりでの巧妙な目隠しをしたまま進められた本末転倒の出来レース=「存在しないと認定した世界の存在」を「裁けるように」して、「法律手続き」という、本来は強制力のないルールを無理矢理押しつけて進められた「裁判という名の」中身のないゲーム、長谷親子の命そのものを蔑ろにして事務的に進められた『史上最悪の虐殺ゲーム』。。。 命を蔑ろにした国家機関が命そのものの存在を「裁く」、裁判という名の茶番劇。。。 国家機関総ぐるみで進められた『日本国という法治国家の合法的拷問』の結末である「最高裁判所の決定」とはいったい何なのか。。。。 『「長谷親子の世界は存在することを認めない」=「被告人両名の命そのものを処刑する」しかし「長谷結理の肉身を「死体」にした(検察官の世界の用語で言えば、長谷結理を死なせた)被告人両名の肉身は別々に強制労働せよ。長谷結理花の肉身は日本国が管理する。』 自己矛盾、二律背反の極致の世界で展開された「民主主義の法治国家の憲法」に基づく「合法的な」裁判。。。公開の場では「合法的」に見せかけた、「法律」という権力と詭弁を駆使した、存在そのものの、命そのものの秘密裏の処刑。 歴史上最初で最後の至極の狂言。。。 『長谷親子(の存在、真実)の世界を処刑する』。。。。日本国の法律=裁判=日本国の正体が、日本国の司法、裁判所の最高意思決定機関、最高裁判所=日本国の代理人からの最終宣告に凝縮されている。 『主文 本件各上告を棄却する』 この裁判のプロセスそのものが、結理に結理花になることを選択させた(検察官の世界の言葉で言えば、結理を「死なせた」)原因の世界の凝縮=本当の被告人であり、この決定に関わった(決定に至るプロセスを看過した)意思の総体の最終代理人=最高裁判所第二小法廷の裁判官、本件における裁判長である古田佑紀と他3名の全員一致でなされた選択、平成23年3月10日付の決定自体が結理を「殺した」真犯人の証言そのものである。 「裁判」が存在する世界そのものが結理に「死の選択をさせた」=4人の「結理」を「殺し続けている」被告人そのもの。。。 真実を処刑した判決の真の宣告対象、本当の被告人は「日本国」である。 『日本国 対 長谷章宏、長谷真由美』の「刑事」訴訟手続き。 被告人を生み出した世界そのものが「被告人」を裁く法廷。。。 自らの「生き残り」のために長谷親子を葬る処刑場。。。 自らの「違法」行為を隠蔽して長谷親子に「罪」を被せる。。。 『歴史上』繰り返されてきた、真実を闇に葬るための茶番劇。。。 「魔女狩り」裁判。。。 今この瞬間も続いている「真理の抹殺」 真実の隠蔽。。。 自らのしたことは自らに返る。 自作自演。。。 自縄自縛。。。 自白。。。 自爆。。。 裁判所=日本国が何をしようとも、真実は消せない。 長谷親子の世界を否定した=長谷親子の世界は存在する。 長谷親子の世界が存在すること=日本国が長谷親子の世界を処刑していたことを、日本国自らが逆説的に証明した。 長谷親子の世界を処刑していたから「結理」が「死んだ」。。。 原因が結果を裁く裁判。。。 逆さまの世界。。。。 『主文 長谷親子の世界は存在する。しかし、日本国はそれを認めない。』 『被告人両名は裁判所の世界=日本国の存亡を脅かす存在である結理を生かそうとした。ゆえに、その「罪」の「償い=罰」として6年間の強制労働を命ずる。』 最高裁判所第二小法廷 決定理由に曰く、 『。。。。憲法違反をいう点も含めて、「実質は」単なる法令違反、事実誤認の主張であって。。。』 単なる法令違反、事実誤認の主張だから最高裁判所で時間をかけてわざわざ審理する(扱う)事案には値しない。。。 長谷親子の命の尊厳などどうでもよい。。。 我々の生き残りが最優先。。。。 長谷章宏と長谷真由美は 真実を暴露されたら困るから、法律上許される=「国民」から批判されない最大の期間、隔離して苦しめておけ。。。 そうすれば、 長谷結理花は 「子供」だから思い通りに管理できる。。。 長谷結理というコード名で「生存」していた「遺体」は どうにでも「処分」できる。。。 「長谷」裁判の真の目的。。。 長谷親子の隠滅。。。。 結論先にありきの「裁判」。。。 憲法に基づく刑事訴訟法手続きによる拘束力をもって発せられた一枚の紙。。。 最高裁判所決定 『主文 本件各上告を棄却する』 これがこの裁判の真相、最奥に隠された事実である。 門前払い。。。 そして、 『処刑した』はずの長谷親子の世界(被告人両名並びに弁護人)から「異議申立書」が出された。 本当に最初で最後の、最高裁判所の意思決定。。。 宣言したら取り消せない宣告。。。 長谷親子から発せられた「異議申立書」への返答は二つに一つ。 「日本国のファイナルアンサー」の再考を促す書面。。。 長谷親子を抹殺した日本国の命運を決する 「現代社会の極楽トンボくんたち」への「長谷親子」からの最期の警告。。。 「上告審決定への異議申立書」 『却下』 長谷親子への「死刑判決」の確定。。。 日本国が 長谷親子処刑の『ファイナルアンサー』を再び発したら。。。 もう後戻りはできない。 以上、結理誕生にかかる「119」救急接続から始まる、真実を抹殺しようとする「世俗」の法廷から仕掛けられたテロ、3年間に渡る「タタカイ」における「世俗」の「絶対神」、「日本国」全権委任代理人最高裁判所第二小法廷裁判長からの引導、真実であり続けた長谷親子への上告棄却決定を受けて。 平成23年3月15日 午前3時36分 長谷章宏 遺 書。 反真泡地大親災から5日。。。 ******************************** 本26日午後0時21分、最高裁判所第二小法廷より「特別送達」を受領。 ********************************* 平成23年(す)第150号、第151号 決 定 被 告 人 長 谷 真 由 美 同 長 谷 章 宏 上記の者らに対する各死体遺棄、保護責任者遺棄致死被告事件(平成22年 (あ)第1129号)について、平成23年3月10日当裁判所がした上告棄却 の決定に対し、各被告人から異議の申立てがあったが、この申立てはいずれも 理由がないので、当裁判所は、刑訴法414条、386条2項、385条2 項、426条1項により、裁判官全員一致の意見で、次のとおり決定する。 主 文 本件各申立てを棄却する。 平成23年3月24日 最高裁判所第二小法廷 裁判長裁判官 古 田 佑 紀 裁判官 竹 内 行 夫 裁判官 須 藤 正 彦 裁判官 千 葉 勝 美 ********************************* 平成23年3月26日 午後0時21分 『死刑執行』 以上。 |
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