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【2018/09/19 20:51 】 |
1.自分が思った通りの体験しかできないことを自覚する
第1回目は、『超自分』教育プログラムをスタートするにあたっての基礎となる考え方をおさえておきます。細かい部分に関しては、次回から一つずつ取り上げて扱っていきますので心配しないで結構です。まずは、反論は後回しにして、細かいことは気にせずに、全体像をつかむつもりで読み通してください。

「悩み」のない人間なんかいないよ、とか、「悩み」が全くないならそれは神様だよ、などとよく言われます。それでは、

「悩み」とは、いったい何なのでしょう?

「悩み」を作り出す本当の原因はどこにあるのでしょうか?

人生において、自分の思いに現れる質問は、結局は、

「いいのかどうか?」

という一言に収束されます。そして、質問を言葉に出せば、現象としては、自分と誰かとの問答というゲームになります。

「自分はどうしたいのか?」

この質問をした瞬間に答えはすでに出ています。

では、なぜ、行動がとまるのでしょうか。なぜ、思考のゲームに入り込むのでしょうか。ただそのまま素直に実行していけばいいのに、なぜ「悩む」のでしょうか。なぜ、ちゅうちょするのでしょうか。

いったい誰が「だめだ」と言っているのでしょうか?

このジレンマから抜け出す鍵は、自分の行動選択の基準をどこに(何に)おくかです。

すべての問いは、すでに自分の持っている答えに対する「確認」の作業でしかありません。いうなれば、自分の答えに対する評価を何かに求め、その「何か」の言う通りに選択しているのです。

では、いったい何に評価を求めているのでしょうか。

その「何か」が、自分自身と一致するならば問題はありません。言い換えれば、その「何か」が提示する基準で創る世界にい続けることを同意しているならば何も問題はありません。

自分自身の選択は、いつでも「ゴー、であり、イエス」です。

「自分はいいと思うけど、自分以外はどう思っているのか。」

評価の基準を、自分以外に求めたときに動けなくなるのです。

いわゆる、「社会常識(規範)」と自分の答えが矛盾しない間(矛盾していても、自分が許容できる間)は悩むことはありません。でも、「常識(規範)」と「自己基準」との間に、許容範囲を超えるズレが生じ、「自己基準」を選択することを決めた(けど、でも、社会規範から抜けるのは怖い、という力関係が自覚された)瞬間に、「悩み」という現象が、自分を「悩ます」問題として浮上してくるのです。

「自分は○○したい」でも「そうすると・・・」

この後(・・・)に続くのは、たとえば、

「一人になる」「仲間がいなくなる」「嫌われる」「悪く思われる」「怒られる」「仕事を失う」「生活ができなくなる」「死ぬかもしれない」「大切なものを失う」「お金がなくなる」「社会が混乱する」「立場がなくなる」「自由がなくなる」・・・・・と困る(いやだ)・・・・・

だから、「できない」

正確に言えば、

「○○したいけど・・・だからしないことを選んだ。」

でも

「自分は○○したい、○○でいいと思う」


行動の選択基準は、自分がどの集団に所属したいか、です。

どんな選択をしようとも、(一時的には、混乱や暗闇や、砂漠、孤独や死の恐怖を体験するかもしれませんが)、居場所は必ずあります。ただし、「居場所」を、今の人生の今の集団に求めれば、「ひきこもり」や「自殺」、あるいは、「拉致監禁」や「殺人」という選択に帰結することにもなります。

でも、もし、居場所がなかったら・・・本当に居場所があるのだろうか・・・と考えるならば、堂々巡りのままです。そのゲームをやめるには「すべてを捨てる」「そうなってもいい」と決めて、行動に移せばよいだけのことです。でも、もし・・・という思考のゲームから抜け出せる鍵をもっているのは自分しかいません。本当に大丈夫なのか・・・それは、やればわかります。

自分が自分の選択に責任をとるなら悩みは消えます。


実を言えば、たとえ死んだとしても同じ仕組みの中からは抜けられません。自分が自分にゴーを出さない限り、自分が自分を縛るゲームから抜けることはできないのです。そして、お互いに縛り合うゲーム、相手を縛っておいて自分が自由になったつもり(他者犠牲を条件とする欲望実現)ゲームは終わることなく続きます。これが形に表れたのが、引きこもり、であり、拉致監禁です。自己犠牲というのも、攻守を入れ替えた同じ仕組みのなかのゲームであり、「犠牲」が不可欠なシステムを続ける限り「誰もが自由になる平和な社会」は永遠にできません。

つまり、「生死時空を超えた自分」が目覚め、『超自分』の言う通りに行動する、というトレーニングを繰り返すことで『超自分』勝手というテクニックを完全にマスターしない限りは、「悩み」は永遠にあり続け、「問題」も永遠になくなることはないということです。いや、なくならないどころか、問題がどんどん増え、解決が困難になっていった末に、「100%問題」(わかりやすく言えば、本当の意味の死)という結末に行き着くことは必至です。これは、現実創造のメカニズムから導き出される結論であり、誰がどう言おうとも、動かせない事実です。今までの宗教や科学をどう突き詰めようとも絶対に出せない結論です。

『超自分』を殺していることが、すべての問題の原因です。


『超自分』の視点から見れば、たとえ「自殺」という選択をしても、悩みや問題、苦しみからは抜けられません。結局は、自分の現実としては、同じ体験が続きます。実際には、今よりもっと苦しい、困難な体験をすることになるのですが・・・。

言い訳や責任転嫁をしている時は、要は、自分がいままでの集団から抜けたくないだけのことです。言い換えれば、自分がいままでの集団にしがみついているだけだということです。

自分以外の何かのせいで自分が動けないかのように思えますが、実際は、自分が自分を止めているのです。自分の選択でありながら、自分以外に原因があるように装うことができるということです。自分が自分を騙していることに気づき、自分のしたことに自分が責任を取らない限り、自分が不自由な体験をし続けて、なおかつ、誰か(何か)と闘い続ける現実が永遠に続くことになります。


「自分はしようと思うけどできない、そのわけは、・・・」

実際は、「できない」のではなく「しない」だけです。

本当に自由になるには、この「・・・」がくせものです。

ここに入るのは、常識、社会、法律、誰か、何か、自分以外の誰かから教わったもの、誰かに教わったルール、観念、基準、考え方などなどです。

「誰かが言ったからやった」と言っても、結局は、自分がそれに同意しているのだということです。自分が同意した限りにおいては、そこから生じる体験はすべて自分の責任だということになります。「仕方なく言うとおりにした」といっても、仕方なく言うとおりにした理由があります。その理由も、また、自分の選択です。これを突き詰めていくと、すべてが自分の選んだ結果だということになります。

実は、今までも100%自由に生きていたのです。でも、自由だと思えないのは、何かのせいだと思い込んでいるからに他なりません。何かのせいだとしているその根拠がすべて幻想だったということに気づき、それを認めない限り、本当の意味での自由はなく、また、争いがなくなることは永遠にありません。

「不自由な体験をするという自由」もある
ということです。

そして、それも自分の選択であり、誰のせいでもありません。

自分も自分以外も、一つの誤魔化しもなく、文字通り、本当に自由だと実感することができる世界もあるのです。

これは、理想論でも、夢物語でもありません。

結局は、自分の立場、自分の評価、自分の持っているもの、自分のイメージを失うことを恐れて生きてきたというだけのことです。表向きは、誰かを気遣っているような生き方を演じることはできますが、実際のところは、誰もが「自分がどうなるか」ということしか考えていません。

「これをしたら自分はどうなるか?」

そして、いつも、安心、安全、楽な選択をしています。

行動するよりは悩んでいるほうが実は楽なのです。悩むという行動をすることが一番楽だからその選択をしているのです。悩んで苦しんでいるのが自分にとって一番楽な選択であるという自己矛盾・・・・。


この状態は、わかりやすく言えば、

「自分の意思で自分を何かの奴隷にすることを選んでいる」

ということです。その方が、楽だからです。

「自由になりたいけど、楽だから不自由なままでいい」

という選択をしているというわけです。

そのままでいいのなら問題はありませんが、果たして、自己矛盾をいつまで続けられるでしょうか。

どんなに隠そうとしても、誰かのために生きているはずが、自分のために生きていたということを自白する時は、必ずやって来ます。その前に、自分の意思で白状して、自覚をもって、自分の意志で矛盾を解消するほうが、恐れや苦しみを体験するとしても、結局は、自分にとって一番楽なのだということです。


「いや、そうじゃない。○○があるからだ。○○さえなくなれば・・・」と言えば、堂々巡りから永遠に抜けられません。

自分が動けないことを何かのせいにしている限りは、永遠に、本当の意味で自由になることはありません。

責任転嫁、何かのせい、を極めると、自分の存在を消すか、自分を邪魔する何かの存在を消す、という行動に行き着きます。

これが、自殺、いじめ、殺人・・・・の発生メカニズムです。

自分が自分を止めているのが、不自由、ストレスの原因ですから、何かのせいにし続けている限り、自分が自由にならないばかりか、自分も誰かも、両方とも自由を失う結果になります。

「自分が困るからやめさせる(やらせる)」

「自分が自由になるために自分以外を不自由にする」システムを維持している限り、最後の最後は自分が100%不自由な結末を迎えることになる状況は、どんな手をつかっても避けることはできません。

法律や罰則では、混乱が加速することはあっても解消することはありません。エネルギーというのは封じ込めるほど威力を増すのです。心のエネルギーも核エネルギーも同じ仕組みです。


面白いことに、ここで提案していること自体を、自分に都合が悪いからといって封殺しようとするならば、その選択そのものが、このことを証明したことになります。

「百科事典(教科書)」的な疑問は、調べれば答えは出ます。

問題となるのは「自分が決めなければならない問い」です。

なぜ、悩むのでしょうか。

自分がいいと思うことがなぜ実行できないのでしょうか。

「自分はいいと思っている」

「自分はこうしたい」

その後に続くのは

「でも・・・・」「だけど・・・」「そうは言っても・・・」
「現実は・・・」「常識は・・・」「迷惑かけるから・・・」
「立場が・・・」「仕事が・・・」・・・・・・・・

思いは行動して初めて形にすることができます。
思っていることを実体験して初めて実現したと感じます。

「たとえ死んでも自分以外のせいにしない」

このルールを100%厳守すれば、すべての問題は問題でなかったこと、自分が作り出した問題を自分以外のせいにしていたことが自分が苦しんだ原因、つまりは、すべて自分の一人芝居だったことが分かります。つまり、因縁をつけて、だだをこねて騒いでいたのは、他の誰でもなく、自分だったのだと気づきます。法律をすべて外しても、このルールが自己規範となって、自己裁判自己判決自己懲役のメカニズムが働いて、本当の意味での「法の下の平等」のもとに、本当の社会変革を進めることができます。誰かが誰かを裁くシステムは、混乱が加速し、機能不全に陥って、結局は、自分が自分を裁く結末となります。

法律を外したら社会が混乱する、というのは条件付の真理です。今のままで法律を外したら、そうなるでしょう。でも、忘れてはいけないのは、自由を制限するほど混乱するということです。

誰かが誰かの自由を制限してシステムを維持しようとしても、それは逆に、混乱の種、戦争の種を増やすことになります。自由を謳いながら規制を強化するという矛盾規範では、すべての人が幸福に、平和に生きる社会は絵に描いた餅でしかありません。アメとムチで維持する世界の結末を真剣に、自分のこととして考えるならば、そのシステムを維持することは自殺行為であることがわかります。

新しいルールを受け入れれば、言い換えれば、法律を新しいルールに置き換えて自由にすることによって、すべての問題は、混乱をへて終息に向かいます。

混乱を避けようとすることが混乱の原因です。これが、現代社会を支配する最大のパラドックスであり、このパラドックスを解消する策は『超自分』教育にしかありません。

混迷が加速する現代社会を本当の意味で真剣にたて直したいというならば、システムや制度をいじくるよりも、「悪」を根絶しようとするよりも、まずは、現代社会を作り出した根源の修復、「自分をたて直す」というプロセスが不可欠なのです。

自分がシナリオを変えれば、物語はどうにでも変わります。実際のところ、自分の現実には死は存在しません。どんなシナリオを描こうとも、自分で自分に責任を取っている限りは、自分が消滅することはありえません。これは、今まで誰もいえなかった事実です。

今の社会で問題にされる死は、『超自分』から見れば、幻想です。もちろん、俗に言う形の世界、肉体の維持がテーマならば、死はありますが、そこに執着している限りは、戦争や核兵器の恐怖から逃れることはできません。どんなに命の大切さを叫ぼうとも戦争や殺人がなくならないのは、命という言葉の意味が違うからです。

本当の意味の命は、決してなくなることはありません。

これは受け入れがたい事実かもしれません。でも、この事実を受け入れることが、本当の安全、平和、自由を導くために避けては通れないことなのです。

形の上での混乱や破壊を避けようとするほど、混乱や破壊が進み、危険や恐れが心を支配する状態が加速することになります。どんな危機管理策を講じようとも、本当の意味での危険を避けることは絶対にできません。

「自分の命を消せるのは自分しかいない」

言い換えれば、

「自分の命を救うことができるのは自分だけ」

なのです。つまり、本当の意味では、誰かが誰かを助けることはできないのです。わかりやすく言えば、地球環境保護という理念(思想)は幻想でしかありません。その真相は、

「地球を生かすのは、自分を殺した自分を生かし続けるため」

という事実に対するすり替えの論理にすぎません。生死時空を超えた『超自分』に死という現実はありません。

「死」という幻想を殺すことが本当の生を手にする唯一の方法

なのです。恐れが行動をコントロールしている限りは、本当の自由(不老不死の命)を手に入れることは永遠にできません。

「自分が自分に素直に行動し、その結果を、たとえ死んでも自分以外のせいにしない」という生き方に帰ることで、自分が作り出していた幻想の世界から目覚め、本当の意味でリアルな体験が現実になっていきます。

そうは言っても、でも・・・・

自分が崩壊していくと思うと、恐ろしくなって、今の現状にしがみつくことになります。納得できないけど、でも、今いる場所、そのほうが安全だから・・・・この選択が、ストレスを加速し、いじめ、殺人、自殺を具現化していく結果になるのです。

このジレンマから抜け出すには、当たり前だと思っていたこと、自分が全く気づいていない「自分を縛る自己基準」を自覚し、完全に捨てることが不可欠です。

でも、現実的にそれは難しい・・・

本当に、本心からそう思いますか?

本当に?


次回からは、誰も疑わない「普遍的真理」(であるかのようにみえるもの)、「当たり前だと思い込んでいた常識」などなどを見直しながら、一つ一つテーマを取り上げて、思考のトリックを外すための教材を提供していくことにします。

今回の講座は、『超自分』教育のベースですから、何度も読み直して、自問自答してみてください。


では、次回。

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【2010/12/10 07:36 】 | 『超自分』教育実践講座
『超自分』教育実践トレーニングとは
この先の『超自分』教育実践講座を進めるにあたって皆さんが『超自分』教育実践トレーニングから最高最大の成果を得るために、長谷章宏がご提供していくトレーニングとはどんなものなのかをご紹介します。今回の記事も『超自分』教育実践講座の教材ですので、そのつもりで読み進めてください。

『超自分』教育実践トレーニングは、このブログを目にした瞬間からすでに始まっています。『超自分』と出会った瞬間からのすべての行動がもたらす現実、体験が『超自分』再生のレッスン、実践トレーニングのプロセスそのものに変わります。自分が体験している現実、思い、目に見えるもの、見えないもの、すべてのすべてが『超自分』教育の教材となり、トレーニングのための生死時空を超えた舞台装置となります。そして、トレーニングが進むに従って、体験する現実がどんどん変化していきます。もしかしたら、今までに体験したことがないような感覚や、不安や恐れなどなどを体験するかもしれません。でも、どんなことが起きようと何も心配はいりません。

今の皆さんから見て「否定的」な体験であろうと「肯定的」な体験であろうと、『超自分』から見れば、すべてのすべては、最終目的へのステップに過ぎません。『超自分』を殺していた自分が創りだしていた幻想の世界を体験していた現実から、『超自分』が体験する本当のリアルな現実への切り替えのプロセスで、今まで以上の不安、恐れ、疑い、痛み等々を体験するかもしれませんが、どのような体験をしようとも、すべてが『超自分』再生のためには必要不可欠なプロセスなのです。

今までの自分の視点、価値観等々を手放し、それらの体験を乗り越え続けることで、本当の意味で楽に、自由になっていくことをリアルな現実として体感していけるでしょう。

このように言えば、今の皆さんにとっては半信半疑、疑心暗鬼になるかもしれません。長谷章宏が何と言おうとも、どう感じるかは皆さんの今までの体験が決めることです。しかし、これだけはお約束します。長谷章宏は絶対にウソは言いません。いや、言えません。言う理由がないのです。

長谷章宏は、自らを実験台に、全身全霊、24時間365日このためだけに自らのすべてを賭けて、自分自身の身をもってすべてのプロセスを体験し、そのプロセスで起きる葛藤や恐れや疑いなどなどを乗り越えてきたと同時に、それを皆さんにトレーニングとして提供するためのトレーニングを一切の妥協を許さずに積み重ねてきました。自分が身につけるだけならもっと楽だったかもしれません。人に教えることがどういうことなのか、は元教師としていやというほどわかっています。自分がわかる、身につけるだけなら簡単ですが、それをいわば「(『超自分』教育の)教師」としてのトレーニングを同時進行で進めるということは、言語を絶する膨大な労力が必要になるということです。

『超自分』教育トレーニングを自ら体験し、あらゆるノウハウ、トレーニングプログラムを検証し、教材研究し、トレーナーとして、実際の社会生活の中で、リアルタイムで実践トレーニングを繰り返した末に完成した、長谷章宏以外誰にもできない究極の自己実現トレーニング法です。

このトレーニングの成果は自分次第です。実は、意識しているかどうかに関わらず、『超自分』再生のトレーニングは自動的に進行していきます。そして、思いもよらない形で現実が変化します。体験することが変わります。もちろん、長谷章宏が提供する実践講座のトレーニングプログラムに参加するかしないかは全くの自由です。でも、自覚を持って自らの意志で積極的に参加することで、実際に自らを実験台にして検証した本人が行うセミナーやトレーニングに参加することによって、自らに起きている現実の意味がわかり、どう対処すればいいかを知り、無理なく、無駄なく、最短距離で変化を乗り切ることができます。

皆さんの本気度に比例しますが、皆さんが無理なく無駄なく最短距離でノウハウを確実に身につけていけるよう、皆さんの体験するであろうどんな状況にも対応可能な膨大なデーターとノウハウを蓄積し、統合し、皆さんがこの先体験するであろうすべての状況について最適なサポートを提供するべく、皆さんのどんな状況にも対処できる準備は完了しています。どうぞ、安心して長谷章宏にお任せください。


『超自分』教育のトレーニングは完全オーダーメイドであり、どのくらいの早さで進めるか、どのくらい遠回りするかは、皆さん一人一人の心の持ち方次第です。すべて、皆さん自身が自由に決めることができるところが、このトレーニングの最大の特徴です。長谷章宏が何かを強制することは一切ありません。もし、強制に感じるのならば、それも、トレーニング教材の一つになるというわけです。そして、長谷章宏は、皆さんのトレーニングのサポート役であり、長谷章宏をどう使うかは、皆さんが決めることです。その代わり、皆さん次第で、長谷章宏が提供するトレーニング教材から最高最大の成果を得ることも可能だということです。すべてはご自分の意志次第です。どう使うかは皆さん次第ですが、このトレーニングを積極的に受けることの価値は無限大であることを一言付け加えておきます。

前回も書きましたが、『超自分』教育プログラムは、知識として知っても意味はありません。ブログや本を読んだだけで簡単にマスターできるような底の浅いものではありません。膨大な情報とノウハウを基にした実践研究に基づいて検証済みのトレーニングであり、実践を繰り返すことで身につくものです。その代わりに、身に着けた分だけ成果は確実に上がっていきますし、マスターすれば、二度と、元に戻ることはありません。

実際に対面して話を聞きたい、実際にセミナーという形で体験したいという方には、TLC長谷章宏OFFICEを通して、実践セミナーや個人セッション、コーチングセッションその他のリアルタイムセッションを用意していきますので、積極的にご参加ください。そして、お知り合いの方々にご紹介ください。実際に『超自分』教育に触れた方々のその行動が、より多くの方々に『超自分』教育という新しいノウハウの存在を知らせ、紹介された方々が本当の意味での「本当の自分」と出会うための新しい現実を引き寄せることで、ひいては、社会問題を解決し、誰もが自由に生きられる社会を実現する第一歩になるのです。

もし、TLC長谷章OFFICE主催の各種セッションとは別に、セミナー等を開催したいというご希望があれば、喜んでどこにでもお伺いしますので、TLC長谷章宏OFFICE公式ブログの「依頼講演等各種情報提供規約」をご覧の上で、お気軽にお問合わせください。

TLC長谷章宏OFFICEの提供するセッションは今の皆さんから見たら高額なものに感じられるかもしれません。そして、皆さんから見たら疑念や疑問、危険性を感じるメッセージや教材があるかもしれません。しかし、長谷章宏自身が、今の皆さんを映す鏡のようなものであり、皆さんの課題を知るための教材でもあるのが面白いところでもあります。長谷章宏のご提供するものにどう反応するかが、トレーニングの課題になるというわけです。

ということで、今の皆さんがどう感じるかをすべて承知の上で、長谷章宏という教材の持っているデーターは、包み隠さず、公開していきます。長谷章宏という教材を提示された皆さんが、その教材をどう使い、どう料理し、どう自分のものにしていくか、それが『超自分』教育のトレーニングそのものだからです。

長谷章宏の提示する教材は、今まで見たことも聴いたこともないものかもしれませんが、今の皆さんから見てどうみえようとも、長谷章宏がリアルタイムで提供するすべてが『超自分』教育実践トレーニングの教材です。だからこそ、『超自分』教育の教材なのです。長谷章宏が提示する教材について、拒否することも、不快感を感じることも、疑念を抱くことも、すべてのすべてが、トレーニングの課題になりますので、まずは一旦皆さんがもっている既成概念や思い込み、常識を脇において、ご自分の反応を正直に見てください。そして、どう使うかを決めた上で、ご自分の反応について長谷章宏に確認してみてください。それが、トレーナーとしての長谷章宏が皆さんの前にいる意味なのです。皆さんと長谷章宏の二人三脚で本当の意味の自由になっていきましょう。

ただし、あくまでも、主導権、決定権は皆さん自身であり、長谷章宏はそれをサポートする役であることだけは忘れないでください。

『超自分』教育実践トレーニングをご提供できるようになるまでには、皆さんの想像をはるかに超えた実践研究、検証作業、トレーニングが必要でした。そのときそのときの自分にとって危険に思えることに飛び込む冒険を繰り返し、そこで生じるありとあらゆる疑念を振り払いながら、それらがすべて自分自身の思い込みだったことをハッキリと確認した上で、皆さんの疑念や疑問を溶かすためのお手伝いができるようになるまでには膨大な時間と資金と労力を要するものだったということをどうぞご理解ください。実際にやってみなければわからないということを身をもって確認済みのものです。

確かに他のトレーニングプログラムやノウハウに比べれば非常に高額に思えるかもしれませんが、その代わり、ここにくればすべてがそろっている、ここでしか提供することができない絶対確実な情報とノウハウ、トレーニングプログラムをご提供していきます。長谷章宏のご提供するプログラムは、どこにもなかった、究極のトレーニングプログラムです。その真価は、実際に体験していただくしかありません。

いつ始めるか、どう判断するかは皆さんが決めることです。そして、その決定プロセスで体験する葛藤そのほかもトレーニング教材そのものであることを知っておいて損はないでしょう。そして、それがどういうことなのかは、皆さん次第ですが、長谷章宏から直接お伝えすることができるというわけです。皆さんの行動から生じるすべてのことがトレーニング教材であり、皆さんが思いもよらない視点を提供することで、皆さんが本当の意味で自由になるためのサポートができるのが長谷章宏だというわけです。


皆さんの人生すべてがトレーニングフィールドであり、トレーニングの成果は、リアルタイムで反映されます。つまり、常にぶっつけ本番状態で、トレーニング成果がフィードバックされ、皆さんの現実がどんどん変化していきます。本物を教材にしたトレーニングが進むに従って、本物が変化していくのです。トレーニングが進めば進むほど、『超自分』教育実践トレーニングから得られる成果から見れば、対価はタダ同然であることがお分かりいただけるでしょう。

この機会を逃すことなく使っていただけるならば、私にとっては最高最大の喜びであるともに、『超自分』教育プログラムに触れる方が一人でも増えることで、本当の意味での自由な社会の実現へのプロジェクトが加速することにもなります。

真剣にやってみようと考えている方は、ぜひ、積極的に参加されることをおすすめします。

拍手[17回]

【2010/11/20 16:09 】 | 『超自分』教育実践講座
『超自分』教育とは
  『超自分』とは、自分を超えた自分 のことです。

 『超自分』教育とは、「自分」という存在のすべてを思い出し、本当の自分を取り戻すためのトレーニングのプロセスです。生死時空を超えた『すべてを知っている自分(本当の自分)』と出会って、この世(今生、今回の人生、今の自分の人生)という狭い箱の中も含めて、誰に遠慮することも無く本当の自由を体験できる世界への冒険と言ってもいいでしょう。

 あらゆる人間関係の問題を産み出すメカニズムは同じです。従って、一人ひとりの問題を解決することが、人間の集合が作り出す社会に横たわる問題を解決するための最短距離です。

 このブログのジャンルは「学校・教育」ですが、私が公開するノウハウというのは、決して「教育」だけにとどまるものではなく、すべての問題の解決に応用できる、今までどこにもなかった、「究極の問題解決法」であるともいえるものです。

 現代社会に横たわる問題を解決する第一歩は、自分自身の本当の姿(正体)を知ること、自分という存在の正体を解明することです。自分と自分の対話をとことんまで追及することです。たとえどんなに苦しくても、潜在意識の底の底まで、何一つ隠すことなく、すべてのすべてを正直に見つめることです。それを避けては、本当の意味での問題解決はありえません。

 教師の不祥事、心の病、いじめ自殺等は、ずっと前からありました。飲酒運転もそうですが、今ここにきて、急にマスコミを賑すことになったというのは、もう、先送りはできないということです。

 安倍内閣は、国を挙げて「教育の再生」に本腰を入れようとしています。教育基本法改正や、教育制度の見直しなど、政治家や評論家、学者、教育者が集まって、いろいろなアイデアを出し合って、問題解決しようとしていますが、果たして、本当の意味での教育再生はできるのでしょうか。

 教育問題は言うに及ばず、社会問題の解決には、人間という存在の心のメカニズムの解明が大きな鍵となるのですが、この難題は、今あるすべての学問成果を総動員しても、一筋縄にはいきません。私の実践研究から言わせて頂ければ、それは、簡単なようで一番難しい史上最大の難関といえるでしょう。これが解決されれば、すべての問題が解決されることになります。


 私がこの道に入ったのは19年前、養護学校から小学校へ転勤してすぐに「うつ状態」となって休職したことがきっかけでした。楽しみにしていたはずの小学校への異動だったはずなのに、なぜか、「学校に行きたくない」という思いが日に日に増していき、ついには、言葉では言い表せない恐怖感が心の中を支配して一歩も家を出ることができなくなっていました。

 当時は、まだバブル景気の真最中で、今は当たり前になっている精神科やカウンセリングは偏見の目で見られていましたし、精神世界や癒し、潜在意識活用法、自己啓発セミナーなどは、特殊な世界に属していて、危ない?「宗教」扱いされる始末でした。誰にも知られたくない、という思いから、はじめは、校長には黙って教職員互助会の運営する病院の精神神経科を受診したのですが、結局は、校長同席で受診して、医師と相談の上で休職することになりました。診断書の病名は、「うつ病」ではなく「うつ状態」で、半年間の休職が妥当というものでした。

 休職した後、学校に行かなくていいという安堵感と「自分のやりたいことができる」という根拠のない期待感があったのを覚えています。そして、休職してしばらくした頃、「うつ状態」と診断されたとはいえ、もう一人のさめた自分の存在を感じはじめていました。それまでの私は、宗教や哲学、心理学には興味はあったものの、それは、教師としての関心の上にたったものであり、「自分とは何か」「自分はどこからきてどこにいくのか」などという問いについて真剣に考えたことなどは一度もありませんでした。哲学書や宗教書などを読んでも、難しい何を言っているのかわからない、ような状態でしたが、休職期間の間は、哲学、心理学、宗教学、自分探しなどの本を貪るように読み、わからないなりに、何かをつかんだようでした。

 結局は、2学期から復職することに決めましたが、医師は、3ヶ月での復職については信じられないようすだったことを記憶しています。今だから話せますが、医師に処方された薬はほとんど飲まず、自分探しや、心理学、哲学、精神医学そのほかの本が、自分にとっての薬でした。その時は、自分ではまったく意識していなかったのですが、今から思えば、この頃から、「本当の自分への旅」が始まっていたようです。小学生のころからずっと「教師になりたい」という思いがあったのですが、今振り返れば、それは、俗に言う学校の教師ではなく、自分教育の教師だったというわけです。

 復職後、何か吹っ切れた感じで、今までとは違った視点で教師として勤務する中で、学校教育についての疑問や教育の本質をさえぎる根深い何かを感じ、機会あるごとに会議等で提案したり、カリキュラムを無視して自分の考えで子供たちに接しながら、実践を通して学校教育の問題点を暗に提案していたのですが、だんだんと中から学校を変えていくことの限界を強く感じていくようになり、退職することも考えていました。そして、平成2年の11月に知り合いの紹介で「自己啓発セミナー」に参加したことを契機に、意識的に自分探しの旅に突入し、その後、約一年間、精神世界関係のセミナーなどに機会あるごとに参加し、教師として勤務しながら、自分探しや新しい生き方を実践していくプロセスが続きました

 詳しいことはここでは省きますが、16年前に教師を退職した後、私は、誰に何を言われようとも、自分が納得する答えが得られるまで、今の今まで、『自分自身に正直に生きる』という生き方を貫き通してきました。その過程は、それまでの「自分」が隠してきたすべての自分を、一つ残らず正直に見ていく旅であり、簡単なようで一番難しい、楽なようで一番苦しい、艱難辛苦の19年間でした。思考のトリック、問題解決を阻んでいる罠に何度もはまり、四面楚歌の連続で、一時は、本当に真っ暗になったこともありました。しかし、その度に、「必ず出口はある」と自分を信じ続け、わずかな光をたどって、決してあきらめることはせず、思いつくすべてのことを実行しながら、試行錯誤の末に、ようやくここまでたどり着いたのです。


 今ここまでのすべてのプロセスにおいては、私が出あった、ありとあらゆる情報、思想、テクニック、ノウハウの類を、実際に使い、損得を捨てて納得いくまで検証に検証を重ね、批判や反論への対応策を講じながら、一切の妥協を許さず、とことんまで突き詰めて、整理統合を繰り返した末に、現実創造の絶対的メカニズムを解明し、誰にでも使える究極の問題解決法としてみなさんに公開できる準備が整いました。

今ようやく、絶対的な確信をもって、私が体験してきたことや独自に開発したノウハウをみなさんに公開することができるようになったと同時に、今ここでこそ、私の実践研究の成果が最大限に生かせる状況、環境が整ったようです。


 心のメカニズムは万人共通です。私が自問自答して導き出した成果は、私以外の人にも適用できることを確信し、誰にでも使えるテクニックに仕上げるまで、本当に長い道のりでした。

 今でこそ、『本当の自分』という言葉は、普通に使われるようになりましたが、始めた当時は、何か異界の言葉を聴いているようなまなざしで見られたことを鮮明に記憶しています。

 本当の『本当の自分』にたどり着くまでのプロセスは、本当の意味での「痛み」を伴います。でも、そのプロセスを経ない限り、本当の意味で、悩みも問題も解決しないということを、私の今までのすべての体験を通して、これまでのプロセスを通して、強く確信しました。そして、形を変えることで解決したつもりになることはできますが、それは、逆に問題を複雑にし、より重症にしてしまい、かえって解決への道を遠ざけてしまうことになるということも、はっきりと証明されました。

 現代社会に存在するすべての問題の本当の原因は、自分自身の生き様にあります。何かのせいにすることは簡単ですが、それでは、全くの逆さまの結果をもたらします。ここにきて、何か、責任転嫁が当たり前になったような感がありますが、それでは、何も解決しないどころか、争いやストレスが増え、安全・安心どころか、危険な社会を加速していくだけです。

 私は、「すべての問題の原因はただ一つである(ゆえに、解決方法もただ一つである)」ということが心底からわかるまで19年の歳月を費やしました。でも、みなさんは、この答えとノウハウを知ることによって、試行錯誤せずに、効率的に、無理なく、無駄なく、問題解決に至ることができます。

 私がこれから提供していくトレーニング法は、幾多の苦労はありましたが、科学者が試行錯誤して導き出した結果を、誰でも実験を通して追体験できるように、誰でも、最短距離で、本当の自由への道のりを歩むことができるようにデザインしてあります。

 私は、俗に言う宗教の修行もしていませんし、今ある心理学の専門訓練も受けていません。ましてや、超能力や霊能力が使えるわけでも、魔術師でもありません。元は一教師であり、皆さんと同じ、いわば「普通の人」として生きてきた人間です。

 本当の自分を知るために、特別な修行は必要ありません。本気で取り組むならば、日常生活の中で誰にでもできることです。本当に真剣に取り組むなら、すべての悩みが氷解します。

 このブログは、私の19年に渡る『本当の自分』への旅の成果を、誰にでも使えるように加工したノウハウとして公開することで、個人的な悩みから社会問題まで、「問題解決」のためのヒントとして使っていただければ、と思って開設しました。

 教育問題は、今も昔も変わりません。国家レベルで「教育再生」に取り組み始めたということは、かつては闇に隠れていた(隠せた、先送りできた)問題が、国家の存亡を左右する社会問題として避けては通れない状況になったということです。私が、かつて実際に教師という立場で教育の現場にいたことは、今この時期に大きな意味があると思います。

 今のご時勢、自己啓発や能力開発、夢を実現する方法、成功法則、潜在意識活用法などなど、自己実現のノウハウやテクニックが花盛りといった状況ですが、いったいどれが本当に本物なのでしょうか。

 私が公開するノウハウというのは、一切の妥協を許さず、私自身の今までの人生すべてを注ぎ込んだ集大成として、本当の意味で全身全霊をかけてそのすべてを統合して導き出した、いつでも、どこでも、(死んだ後でも)、誰にでも使える形にデザインされた、「究極の自己トレーニング法」であり、同時に、問題解決法の決定版です。

 一度身に着けてしまえば、永遠に使える至宝となります。

 やってみようと思った方は、使えるものがあったら、遠慮なくどんどん使ってください。そして、少しでも早く、本当の自由への道に戻ってきてください。仲間を待つ必要はありません。まずは、本気でやる気のある人から始めることが、ひいては、社会問題解決への道筋をつけることになるのですから。


 このトレーニングは、知識として知っただけでは全く意味がありません。実際に使って初めて効果が実感でき、本当の自由が手に入るのだということをお断りしておきます。いつもこのことを頭にいれながら、『超自分』教育を開始してください。

 では、次回から、少しずつ『超自分』教育のためのトレーニング教材を、様々な形で提供していきたいと思います。本当のところは、文字ですべてを伝えきれるという代物ではありませんので、併せて、実践セミナーも開催していく予定です。

 リアルタイムで展開する実践セミナーの効果は絶大です。開催の際には、このブログや関連サイトで逐次ご案内しますので、自己トレーニングの確認の意味でも、ぜひとも、ご参加ください。

以上、少々長くなりましたが、『超自分』教育実践講座のオリエンテーションを兼ねて、『超自分』教育とは何か、ということを実感してもらえればと思い、ほんの一部ですが、私がこの道に入った経緯も含めて書かせていただきました。

では、次回。

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【2010/11/20 07:31 】 | 『超自分』教育実践講座
『超自分』教育実践講座
「リアルタイム体験型フリースクール」のコンテンツとして、「『超自分』教育実践講座」と銘打って、TLC長谷章宏OFFICEからブログ版長谷本をご提供します。ベースは、長谷章宏が以前ブログで公開したものを改めて掲載した記事となりますが、新しい教材についても準備ができたものから順次、公開していきます。各記事とも必要に応じてリアルタイムで加筆、修正を加えますが、文脈上、記事中にある日時や場所、人名、当時の社会情勢に合わせた題材を取り上げた時事問題的な内容の部分、リンクの表示等についてそのままにしてある箇所もありますので、現在の社会状況に置き換えながら読んでください。

「長谷本」も含めた長谷章宏がご提供する「教材」というのは、時を経るに従って、その情報の独自性や先見性、ノウハウの実効性その他、長谷情報&ノウハウの本当の価値がよりハッキリと実感できるのが特徴です。この講座の各記事も今改めて目を通してみますと、今現在の社会情勢にドンピシャリの「リアルタイムリー」な内容であることがわかります。まさにこれからが、長谷情報&ノウハウの真価が遺憾なく発揮されるベストタイミングであるといえます。

このブログ講座を「受講」するだけでも十分に長谷情報&ノウハウの効果を実感できることでしょう。

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【2010/11/20 07:27 】 | 『超自分』教育実践講座
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