× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
各 位
以下に、裁判システムにおける判決という形を借りて、長谷章宏自身の総決算も兼ねた「長谷章宏」からの長谷本最終メッセージを提示します。56年間に渡り長谷章宏が全身全霊を賭けて実体験を通して検証に検証を重ねつくして確認した結果として皆さんに提示してきたメッセージ並びに長谷結理裁判の真意、本当の真実の語るそのただ一つの真意を汲み取り、今一度、ご自身の人生について本当に真剣に熟考し直して、ご自身のために、ひいては、日本の、世界の、本当の日本復活、再生のために最大限に有効に活用してください。 **************************************************************** 平成29年6月13日宣告 判 決 本籍 「 」 住居 「 」 職業 「 」 被告人「 」 年 月 日生 上記被告人に対する神法違反被告事件について、当裁判所は、検察官 長谷章宏 弁護人 「 」各出席の上審理し、次の通り判決する。 主 文 被告人「 」を無期懲役に処する。 刑期は改悛の度合いに応じた自己決定とする。 理 由 罪となるべき事実 証拠の標目 事実認定の補足説明 法令の適用 量刑の理由は、下記に総合記述されている。 (1)長谷章宏が提示してきた全情報、レポート (2)TLC長谷章宏OFFICE WEB「緊急声明(リンク記事含む)」 (求刑 各被告人につき死刑) 以上を総合考慮した結果、被告人に対しては主文の刑に処するのが相当と判断した。なお、当被告事件については、控訴、上告、異議申立には理由がないので棄却とし、当判決をもって確定とする。 最終真理神法裁判所 裁判長裁判官 長谷結理 裁判官 長谷章宏裁判官 長谷真由美 **************************************************************** 上記判決の宣告の意味についての説諭 本判決の重大性、緊急性についての理解を促すために、「実践・日本真道」の補遺を兼ねて、現日本国の司法制度(法律違反の清算システム)に置き換えて「神法違反の清算システム」の説明をしておく。 神法違反の判決には「無罪」「無期(自己決定有期)懲役」「死刑」の三種類しかない。しかし、実際には、「無罪」=違反なし、「死刑」=違反のみ、である(神法そのもので創られた世界に違反者は存在できない)から、神法違反の存在が作り出した世界においては、「無期懲役」のみ(言い換えれば、いわゆる「あの世の霊」や「神仏」、「悪魔」も含めて、全員が無期懲役囚)となる。生死時空を超えた、生死一如の清算をするのが神法違反の懲役であるから、逃げる場所は「この世」にも「あの世」にもどこにも存在しない。 現代社会は、「刑務官」(自己決定による自己清算の「刑務所」の刑務官は自分自身なのだが)の強制指導がないのをこれ幸いと、罪の清算の場であるべき「刑務所」において、罪の清算をサボって好き放題遊んで自ら罪を積み続けていた(ことに気づいていない、あるいは、気づいていても「苦役」を避けたいがため無視していた)囚人の集団が運営する世界である。言い換えれば、「自らに都合よく勝手に構築したシステム」を維持する目的でアメとムチを使った支配を「法制度」という形に具現化し、そのシステムの中で生き残るために支配合戦をして遊んでいたのが、人類の歴史として認識される社会システムだったということである。あえてわかりやすく言えば、日本国の組織を真似て国家転覆を謀ろうとしているという理由でオウム真理教をテロリスト扱いしたその日本国自体がオウム真理教集団だったことになる。その結末はよくご存知の通りであるが、ここで忘れてはならないのは、「神法違反の清算システム」においては、その世界に全員が同意した上での社会集団である限り、教祖も信者も全員が「平等公平に」違反相応の清算からは逃げられないということである。各自が違反相応の清算をする、自らで自らの刑期(死刑も含む)を決める、本当の意味で「平等公平なシステム」が、神法における司法制度、神法違反の清算システムなのである。 神法違反の捜査においては、誤摩化しや嘘、言い逃れは一切通用しない。なぜならば、水戸黄門や遠山の金さんのごとく、正体を隠した潜入捜査によって裁判官本人が自らの目と耳で動かぬ証拠を集め、その証拠に基づいて判決を下す(印籠や入れ墨を見せることで正体を明かし、裁判官自らが取り調べていたことを知らせて本当の下手人を縛に就かせる)という、裁判官が警察官と検察官を同時に(一体として)担うシステムだからである。一見、独裁政権における裁判と瓜二つのようにみえるが、神法は裁判官自身にも適用されるため、恣意的な判決は裁判官の自殺行為を意味する。要は、神法違反の捜査は神法違反の事実の証拠収集並びに違反の度合いの個別調査に過ぎない。勿論、現代社会の司法制度と同様に弁護人を立てることも可能だが、その主張は「自己の違反に対する弁解、言い逃れ、言い訳」となるため、実際には、減刑を求める弁護は増刑にしかならず、「弁護」をすればするほど、違反が重なっていくというパラドックスが生じることになる。なぜならば、裁判所が存在する世界そのものが、神法違反の存在が構築した神法違反の社会だからである。ゆえに、神法裁判所の「審理」は、実質、裁判官のみで進められることになる。 神法違反の懲役が自己決定による自発的な違反の清算である限りにおいては、本当の意味での違反の清算を始めなければ、減刑(刑期短縮)されることはありえない。また、神法違反の「刑務所」は、自らの違反と相殺の清算の場であるから、受刑生活は刑の清算のみに専念し続けることが刑期を最短にする唯一の方法である。ゆえに、清算をサボればさらに違反を重ねることになり、刑期が増えるだけである。従って、「受刑者」は、いわゆる「模範囚」であることが当たり前となり、優遇措置なる制度は存在しえないから、ここには「仮釈放」という概念はない。神法は「刑務官」も含めた全員に常時適用されるため、賄賂や圧力や忖度による操作は、自らの刑期を加算するだけであり、それをするならば、タイムリミットまでに清算を終えない場合には、自動的に「死刑(ここにおいては、永遠の絶命)」となることに同意していることを意味する。 神法違反の世界においては、娑婆そのものが法廷であり、拘置所であり、刑務所でもある。ただ、実際には、神法違反の「裁判」の判決は「無期懲役」に確定しているから、本来は、未決囚という概念はなく、「拘置所」は存在しない。本判決の宣告前は、自己審判による自己清算の仕組みを理解して自発的に清算を開始した瞬間に、その受刑者にとっては娑婆が刑務所として機能するのだが、本判決の宣告後は、すべての場が強制的に刑務所に転換することになるため、警察や検察、裁判所の法廷、拘置所の機能は消滅する。以降は受刑者各自が違反の清算を進めるに従って、自身の清算状況に応じて「刑務所」(の現実)が自動的に本当の『娑婆』(の現実)に切り替わっていく。言い換えれば、本気で清算をしないまま時至れば、「刑務所」が即、本当の死刑台に切り替わるということである。 長谷章宏がこれまで提示してきた世界というのは、遊びでも、戯れ言でも、冗談でも、妄想でも、空想上のゲームでもない。このメッセージは、長谷章宏(の世界)をどう扱うかによってご自身の今後の命運を左右することになるという事実、すなわち、あなたの選択次第でリアルワールドが天国にも地獄にも(究極的には「永遠の死=消滅」も)現実化する世界であるという真実について語ったものなのである。現代社会では、生き残りを謀ることは「死刑」の現実化を望んでいることになるという自己矛盾のまま「生存」を維持できるが、神法そのものの世界に転換すれば即、消滅が実体化する。言い換えれば、神法違反の世界では、存在していないものが存在するというそれこそ「空想の世界」が展開されているのであるが、神法そのものの世界ではこの自己矛盾は解消される。要は、長谷章宏の世界には、長谷章宏の語る事実を批判、否定、無視するものは存在しないので、このメッセージ(「長谷本」)も存在しないのである。神法違反の世界こそ幻想のあり得ない世界であり、それは、神法違反のものたちに清算の機会を与えるための期間限定の「刑務所」に過ぎない。その意味するところは、早々に神法違反の清算を始めなければ、最も怖れていた現実を自ら実体化する結末(=永遠の死)を体験することになるということであり、神法違反の世界は本来は存在しえない世界、文字通り、ありえない世界なのである。 本判決を機会に、23年に渡って長谷章宏が各種媒体やツールを使って提示してきたもの、それに対する自分自身の反応、ご自身の選択の結果として体験してきた現実等を総合判断し、本当に真剣に今までのすべての人生を振り返った上で、あらためてこれ以降のご自身の身の振り方を真剣に考えてみることをお勧めする。 説諭の最後に、各位がどのような結論を出そうとも、良きも悪しきもその結果を各位がそのまま体験する(それが、そのまま「懲役」、時至れば「死刑」となる)ことと、長谷章宏が提示した事実は絶対に動かないということを申し添えておく。 長谷本の総まとめに代えて 長谷章宏の本当の真意、事実というのは、どんなに言葉を尽くしても、どんなに証拠を提示しても証明することはできません。なぜならば、最終的には、あなたご自身がそれをどう扱うかという問題に帰結するからです。(逆に言えば、言葉も証拠もいらないのですが。)長谷章宏としては、寝食どころか、たとえ命そのものが「犠牲」になろうとも、神法違反の事実を証明するために最高最大の証拠を提示しようと、常にいついかなる時でも本当に真剣な態度で望んでいたのですが、結局は、今の今まで長谷章宏の真意は伝わらなかったようです。そして、長谷結理裁判という究極の、これ以上ない神法違反の証拠、立証ツールが提示されていたのですが、「判決の宣告」が行われたということは、それを見ても聞いてもなお、今の今まで、各位の反応は変わらなかったということを意味します。言い換えると、今、書いているこの文章は、逆説的な意味で、長谷章宏(という存在とそのメッセージ)に対しての各位からの(長谷章宏をどう扱っていたかの)回答であり、要は、改心をしないまま今この瞬間まで平然と神法違反を続けてきたという決定的な証拠(自白調書)です。 これまでも、ずっと、真日本復活、再生のプログラムの本番はバックグラウンドで着々と進められてきていたのですが、今ここに至って、やっとようやくそれが「誰の目にも明らかに」「実体験としてリアルに」なってきました。現代社会の問題、課題、矛盾が次々に堰を切ったように実体化してきているということは、もう、誤摩化しも嘘も通用しない待ったなしの時が到来したということです。 司法制度(「裁判」)に例えるなら、あなたは今、この瞬間から娑婆という遊び場が転換した大きな刑務所での受刑生活に入ることになります。これからは、違反を生産し続けるにしても、違反を清算し続けるにしても、ご自身の選択の結果を今まで以上にハッキリとリアルに自覚されるようになることでしょう。そして、それはいつまでも続くものではなく、最後の時至れば、そこは刑期満了者以外存在しない「この世」に変わることになる。その時、あなたがそこに残っているかどうかは、あなたご自身の選択にかかっているのだということを、最後にあらためてお伝えしておきます。 これまで長谷章宏が残してきたものを、あなたご自身のために、どうぞ有効にお使いください。そしてもし、これからも、あなたに長谷章宏のお手伝いが必要ならば、ご自由に、いつでも遠慮なくお声をおかけください。「サポート窓口」は「最後の審判」が実体化するその瞬間まで開けておきますので。 いよいよ、あなたが本当に真剣に正直に自分自身と「無期」合うべき時が来たようです。 ということで、長谷章宏は全力を尽くしきりましたので、これをもって長谷章宏からの「長谷本」最終メッセージ(総まとめ)とさせていただきます。 それでは。 2017 (平成29)年 6月13日 長谷章宏 (「長谷本」完。) 以後、各位、しかるべく。 PR |